- 2013-03-17 (Sun) 00:34
- Diary
絵の表現や技法を身につけていく上での結構大きな障害って、意外に自分自身だったりします。誰しも、圧倒的な画力の人を目にして、「これはとても勝てない…」なんて思ったこと、一度や二度はあるものです。
大概の場合は、それでも好きで絵を書き続けるわけですが、どうしてもくよくよと悩んでしまって、「自分は駄目だ…」と卑下してしまったり、「あの人には才能があるから…」とあきらめてしまいそうな時に、自分の立場を前向きに捉えなおす方法があります。
確定申告が終わった開放感からつらつらとtwitterに書き連ねていたものを、記事にまとめてみました。
既にある表現までは、誰でもいつかはたどり着ける
- citrocube@2:16 PM - 15 Mar 13
- 世の中に絵の上手いひとが沢山いて、そのこと自体ははよいことだ、そこまでの表現の道はその人たちが切り開いてくれ、いつかそこまで行ける、ということを、その絵で示してくれている。
だいたい言いたい事は呟いた内容の通りなのですが。めちゃ絵が上手い人を見つけても、凹む必要はないぞと。
絵と自分を切り分けよう
- citrocube@2:17 PM - 15 Mar 13
- どうしても人の絵を見て、実力の差や自己嫌悪で辛くなってしまう人は、『絵を描く自分』と『自分自身』は別人だと考えるといいよ。他人の事であれば、案外冷静に評価を受け入れられるし、『友人以上の他人』には応援やアドバイスはすれども、面と向かって卑下したり悪く言ったりはしないですむよね。
- citrocube@2:16 PM - 15 Mar 13
- てか言うなれば絵描きなんていうのは、何時まで経っても『あれが描けない、これが描けない』の無間地獄で、恐らくそれは書き続ける限り一生続くわけで、自分を卑下するタイプの人は、その間ずっと自分を責め続けないといけないなんて、そりゃ心が折れるか筆が折れるか、どっちかになってしまうよ
- citrocube@2:17 PM - 15 Mar 13
- でも、見方を変えてしまえば、それって常に手ごろな問題が手元にあり、常に達成感が得られる、そういう人生の素敵なオトモ MH4が楽しみな今日この頃です
絵には常に自分の名前がくっついているので、ついつい絵に対するレスポンスを、自分に対する評価と受け取ってしまったり、実力差に絶望して自分を卑下してしまったりしちゃうんですよね。凹むのもほどほどであれば、悔しさをばねに絵に打ち込んでいけますが、ペンを持つ気力も無いほど落ち込んでしまう人は、こんな感じに考えると案外乗り越えられたりします。
自分も、絵でごはんを頂いている身ではありますが、未だにあれこれと上手く描けないものがあったりするもので、やっぱりその度に机の前でのた打ち回ってるもので('△')のたうちながら、事態を打開すべく、手と目と頭は動かしてる、やったぞ描けるようになった!みたいな毎日です。
実のところ、「あれが描けない!」て気付いた瞬間って、見方を変えてしまえば、こなすべき課題が明確になった瞬間なんですよね。で、描けないかどうかって、案外描いてみないと分からないし、人の評価にさらされたり、人の絵と見比べてみないと分からなかったりする。
自分で自分を卑下するのって、客観的にはどういうことなのか
自分で描いた絵には自分の名前がついてまわる、ということは、『自分の名前』までは絵の一部に入るんですよね。これを卑下するっていうことは、自分の絵や、見てくれた人にマイナスの印象を持たせてしまう。
なので、もし人に受け入れられる絵を目指しているのであれば、自分の名前までは、絵の一部だと割り切ってしまって、自分で自分を否定したりせず、大事にしてあげてほしいな、と思います。
最後に
一連のツイート、twitterで随分RTまわっていてびっくりして、色んな方の反応が見られて嬉しい反面、一部の(特に、否定的な意味だけまとめた)ツイートだけを見て誤解を受けたりしたためちょっと悩んでおりました。「ブログにまとめるといいよ!」とアドバイスをもらったので、ちょっと補足を入れつつ記事にまとめてみました。
- Newer: 多摩動物公園のちびチーター見てきたよ
- Older: 近況とらくがき